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おんなのこ …女子野球選手の憂鬱
筆者の関わっている高校の野球部に女子選手がひとり所属している。彼女は、中学時代には学校の野球部に所属し、レギュラーの二塁手として活躍していた。高校進学後も、学校関係者がマネージャーへの転向を勧めたにも関わらず、選手である事にこだわり続けた。確かに、スピード、パワー、スタミナなどの身体能力は、男子と比べれば劣る部分ではある。ただ、基本に忠実な身のこなしをし、変なクセのついていない身体の使い方ができているので、鍛え方によっては、まだまだ伸びていける素材であると思っている。 彼女には、高校野球連盟が決めた現行の規定により、公式戦に出場する事は許されていない。練習試合であっても、相手側の事前の了承がなければ、起用される事すら、ままならない。実際、断られる事もある。また、試合に出ても、対戦相手から異質なものと捉えられる事も、時としてある。それでも彼女は選手として、自らを高める努力をやめようとはしない。 彼女が男子選手と混じって、その上で、一流プレーヤーかと問われれば、その域にはまだまだ達していない。しかしながら、彼女より力量の劣る男子選手は、チーム内外に少なからず存在する。彼女より能力の低い男子選手が、何の規制も受ける事なく、大手を振ってベンチ入りし、試合に出場している。そして、その光景を彼女は、これからもスタンドから見続ける事となる。 高校に、女子硬式野球部が誕生したのは、1917年、愛媛県の今治高等女学校で、歴史は古い。1919年には高等女学校野球大会が開催され、1950年には、プロ4球団による日本女子野球連盟が結成されている。しかし、世間に広く普及するまでには至らず、ともすれば廃れ、再び注目を集めるようになったのは、今から約10年前の鹿児島県の神村学園が女子野球部を創部した頃であったと記憶している。それに呼応するかのように埼玉県の埼玉栄なども女子硬式野球部を発足している。1997年より女子硬式野球全国大会が開催され、現在は硬式野球部5校に、ソフトボール部5校を加えた計10校で行われている。それまでは、中学まで野球をしていた少女たちは、高校進学の時点で野球を続けたくても、マネージャーとなるか、野球をやめるか、もしくはソフトボールや他のスポーツに転向するしか道がなかった。高校に女子野球部が再び誕生した事で、数は少ないながらも、その場所ができた事になる。しかし、本人の現役続行の意思の有無はもちろんの事、家庭事情や他の要素で、あきらめざるを得ない少女たちも未だに存在している。また、その女子野球部の誕生は、少女たちの憧れの甲子園への夢と希望の継続と共に、一方では悲しい現実をも突きつける。当時、高校野球連盟の下した結論は『時期尚早』。事実上の参加拒否である。つまり、公式戦への参加は認められず、甲子園を目指す事は叶わないという事である。そして、その懸案に関して、現在も継続審議をしているかどうかは、伝わってきていない。 あまり一般には知られていないかもしれないが、大学野球、社会人野球の世界では、女子選手の出場は認められている。2001年、東京六大学のリーグ戦にて、東京大学の竹本恵投手(左下手投げ)と明治大学の小林千紘投手(右上手投げ)が、わずか1試合ではあったが、共に先発し、短いイニングながら投げ合いを演じている。さらに遡り1995年には、明治大学の外国人留学生のジョディ・ハーラー投手(左上手投げ)が、1試合ながら神宮のマウンドを踏んでいる。また、タレントの萩本欽一氏率いる社会人野球クラブチーム、茨城ゴールデンゴールズには、現在、片岡安祐美二塁手が所属している。彼女も高校時代、熊本商業高校で男子部員とともに野球をしていた。そして、その当時から、女子硬式野球の全日本入りを果たした実力者である。 確かに現実には、長い歴史の中で男子選手に混じってプレーした女子選手はほんの限られた人数しかいない。そして、男子選手と同じような高いパフォーマンスを見せ、騒がれるような女子選手は残念ながらまだ現れていない。 『時期尚早』…。高野連のみならず、一般社会でもよく使われる、都合の良い言葉である。問題を先送りし、結論を出す決断力の欠如を露呈する、極めて情けない言葉である。お偉方が『時期尚早』を繰り返し唱えている間に、彼女たちは二度と戻らない貴重な時間を削られていく。そして夢に挑戦さえさせてもらえずに、高校生活を終えていく…。 『おんなのこ』だって野球が好きだ。 誰も責任を取ろうとしない。 |
■参考文献
特定非営利活動法人 日本女子野球協会(WBAJ) 公式ホームページ
http://www.wbaj.or.jp/top/frame_top.html