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指導者 …生殺与奪の権限の末に

 少年野球は誰のもの? 中学野球は誰のもの? 高校野球は誰のもの?

筆者は現在、縁あって大学生、高校生、中学生、小学生の十数名の野球選手と個人的に関わらせてもらっている。到底、指導と呼べるような代物ではなく、つたない知恵と知識と経験を伝えているだけのものである。もしかしたら、反省と後悔を語っているだけかもしれない。筆者は学生時代、野球をしていない。草野球をヘタの横好きで楽しむ、ただの素人である。にも関わらず、彼らが何故、このような者を必要としてくれているのか?彼らの所属する野球部の指導者に物足らなさを感じているからに他ならない。

CASE 1

 ある公立高校に、ひとりの左投手がいた。一年生の夏からベンチ入りを果たし、将来を嘱望されていた上手投げの本格派である。しかし、当時の監督が、「自分が育てた」と手柄にしたかったようで、投球フォームをいじくり回された。彼が素直で真面目な性格であるが故に、それが逆に災いをもたらす事になってしまった。監督の誤った理論を、彼はしっかりと吸収し、その結果、肩と肘を痛める。球威の落ちた彼は、試合で投げれば打たれ、の繰り返しが続き、やがて下級生にエースの座を奪われてしまう。そのうち、遂には、痛みが酷くなり、ボールを投げる事すらできなくなってしまった。監督が彼に浴びせた言葉は「肩の痛みは、心の弱さだ」。やがて、監督は彼に見向きもしなくなった。監督に感化されていた選手達も、それに倣い、彼は孤立していった。

彼は、治療を受けながら、肩、肘に負担のかからない投球フォームを手に入れるべく、ひたすら走って下半身を強化し、シャドーピッチングを繰り返した。奪われた背番号1を取り戻すために…。失いかけたプライドを取り戻すために…。

監督は、野球理論が誤っている事がバレ、明らかなオーバーワークを押し付けていた事や、えこひいきなどが原因で、選手からの反発を食らい、野球部から退く事となった。

最後の年の春、新監督がやって来た。礼儀を重んじ、学業を大切にし、おもしろくわかりやすい授業をする教師であった。新監督は、いきなり彼にサイドスローに転向を命じた。まだ故障明けで満足な球威の戻っていなかった彼のボールを見て、早々に本格派としての復活に見切りをつけたのだ。彼は、前監督から見放された辛い経験から、信頼できそうに思えた新監督の指示に従う事を選んだ。

そして…。

再び彼の左肩は悲鳴をあげた…。
新監督が彼に投球フォームの改造を命じたのは、彼の適性を考えた訳でも、確かな理論があった訳でもなく、「左のサイドが好きだ」という、ただそれだけの理由で、だった。学業の指導力と野球の技術指導力は、残念ながら比例していなかったのである。そして、その後も満足な指導も行わず、放置した。

最後の夏、彼は背番号11を纏い、代打でセンター前ヒットを放った。彼は、「そのヒット一本で三年間の苦しい思いがすべて洗い流せた」と言った。新監督も、我が事のように喜んでいた。チームも、久しく遠ざかっていた夏の大会での1勝を飾る事ができた。

しかし…。

彼は、目標にしていた夏の大会はおろか、練習試合にさえ、マウンドに立つ事は叶わなかった。何か、肝心な事が置き去りにされ、すり替えられてはいないだろうか?彼の思いは、このように違う形でしか、締め括る事ができなかったのであろうか?

その新監督は、その後も、自分の考えや理論を押し付ける事で、投手のフォームを狂わせ、連投による酷使を続け、有望な投手を潰している。また、打者に対しても、自分の現役時代のスタイルを強要し、伸び悩みの原因を作り続けている。基礎体力を向上させるためのトレーニングもあまり行っておらず、守備、走塁はさほど上達していない。そして今、チームは打てず守れず、で弱体化の危機に瀕している。皮肉な事に、その一方では、その新監督の熱心な授業のお陰で、選手達の学力は向上している。

また、その野球部から追われた前監督は、転任先で性懲りもなく野球部の部長に就任している。いずれは、再び監督になる日が来るかもしれない…。 

こうして、不幸な高校球児がまた次々と生み出されていく…。 

CASE 2

 ある高校に、熱血漢と呼ばれる監督がいる。彼はとある体育大学出身の体育教師であり、いわばスポーツのスペシャリストであるべき人物である。高校時代は投手、大学では外野手としてプレーしていたという。トレーニングでは、選手と同じく自らも参加し、情熱あるところを見せている。 

彼は以前、当時の三年生に反発を食らい、指導と練習試合の引率を数ヶ月間放棄した過去を持つ。明らかなオーバーワークを課し、それに対しキャプテンが「何故ここまでしないといけないのですか!?」と言ったところ、「俺はこんなに一生懸命してやっているのに…。もう俺は必要ないだろう。お前らだけで勝手にやれ」と立ち去った。最後の夏まで、残すところあと僅かしかない、重要な時期の事である。もちろん、選手にも、言い方や練習の取り組み方などに非はあったのであろう。しかしながら、本当に非があるのは、体育教師であるにもかかわらず、トレーニングの持つ意味すらわからず、説明もできず、選手が苦痛に歪む顔をしているのを見て、実のある練習だと勘違いして自分を正当化していた監督である。 

引率を拒否されたチームは選手だけで練習試合に向かい、当然ながら先方より、「責任教師の引率のないチームと試合をする訳にはいかない」と断られている。また、それは何校にも及んだ。つまりは、他校にまで迷惑を及ぼし、自分の学校に泥を塗った事になる。そして、チームとして最終的な仕上げをしなければならない時に、指導者不在のまま、過ごさせる事となった。悲しいかな、選手達だけでは、まだチーム運営をできるだけの能力は身に着けていなかった。下級生達は、上級生との間に板挟みになりながらも、それでも監督を信じていた。

夏の大会前に、うわべだけの和解をし、投げやりの選手起用と采配で、チームは初戦で敗退した。

新チームになり、本格的にチームに復帰した彼は、「みんなで新たなる伝説を作ろう」と力説した。しかしながら、彼には指導者としての、また指揮官としての能力が、残念ながら全く備わっていなかった。歪んだ理論と、思いつきや押し付けの指導…。野球知識の不足からくる、肝心な部分での指導の欠落…。適性を考えない選手起用…。相手チームに対しての観察力のなさ…。試合の流れを読めないバカげた采配…。試合中には癇癪を起こし、恥も外聞もなくベンチでわめき散らす事も度々…。そして、自分のミスに気づかずに、敗戦の責任をすべて選手になすりつけ、「気力が足りない」と責めた。「同じ失敗をしてはいけない」と、自分の事を棚に上げ、平然と言い放った。また、オーバーワークを課す事による疲弊が原因で、故障者を乱造し、瞬発力を失わせていく。 

最初は彼を信じていた選手達が、やがて疑問を抱くようになるまで、そう時間はかからなかった。しかしながら、職場放棄の前歴を目の当たりにしている選手達は、監督に反発する勇気を持つ事ができなかった。
「先輩達の失敗を、自分達は繰り返せない…」
だからこそ、選手達は監督に足を引っ張られても、それを上回るだけの実力を備えようと考えた。そして、緩やかにではあるが、着実に成長の跡を見せていた。

しかし…。

夏の大会の二ヶ月前、彼は急に、選手の適性を無視した理不尽な守備位置変更を命じる。チームの核となるセンターラインを玉突きコンバートで、三人を不慣れなポジションに移す事にしたのである。その上、動かした選手に対して、新しいポジションでの技術指導は一切していない。ポジションを移動させた時点で満足している。本当の指導は、ここから先であるのに…。これならば、通りすがりの校長にでもできる、素人まがいの事である。選手達が、チームが機能しない事を不安視し、再考を願い出ると、彼は「お前らも俺に逆らうのかッ!!」と恫喝した。その後の練習試合で、その綻びが原因で敗戦を繰り返しても、彼に反省の色は伺えない。すべてを、「お前達が至らないからだ」と選手達のせいにしたままである。二年間、取り組んで来た守備位置を、単なる思いつきだけで捨てさせたのは、他ならぬ自分である事を気にも留めていない。奥の深さも、積み重ねも、一球の大切さも何も感じていない、野球をなめきった態度のままである。何よりも、前回の過ちへの後悔と反省が全くなされていない。野球談義と反抗の区別すらできていない。結局、「選手のためを思って」と言いながら、自分に睥睨させたいだけの様に映る。選手達は未だに足枷を着けられたままである。
そして、これから先、その監督の下で野球をする未来の選手達も同じような思いを背負う事となる。
 

もし、動かされた選手のサヨナラエラーで敗戦を迎える事になった時、選手達は納得できるのだろうか…。そして、その時、監督は何と言うのだろうか…。 

もうすぐ、最後の夏がやって来る…。 

CASE 3

 ある中学に、ひとりの監督がいる。彼が言うには、全国制覇の実績もある有名高校の出身で、自身の代も甲子園にあと一歩であったらしい。しかしながら、そのキャリアが疑わしくなる摩訶不思議な事を平気でやってのける。 

公式戦のベンチ入りのメンバーは前日に発表する。それも野球の実力があるかどうかでなく、監督が気に入っているかどうかで決められる。そして当日の試合前まで、誰がどこを守り、何番を打つかさえわからない。そのような状態なので、試合では、守備位置と背番号はほとんど一致しない。背番号の重みを全く感じさせない、草野球のような行為である。また、大事な局面で守備陣形の指示も全く行なわず、未経験の投手を平気で登板させたりする。1点の重みを全く感じさせない、草野球のような行為である。どうやら、ユニホームを着た時点で目的を達成しているようにも見える。これは大勢のエキストラを従えた、大いなるコスプレなのか…。 

練習試合も以前はほとんどしなかったらしい。試合中、普段全く指導していない事を棚に上げ、選手をこれ見よがしに叱責する。ただし、父兄がビデオを回している時はトーンダウンする。贔屓の選手は常に重用し、気に入らない選手は全くと言っていいほど使わない。戦力の見極めすら放棄しているようにも見える。礼節を軽んじ、試合終了後、観戦に来ている保護者達に対しての一礼もさせていない。そして、敗戦はすべて選手の責任にする。選手達が未熟なりにも踏ん張って、何とか試合にしているのにも気づかず…。 

トレーニングを兼ねたアップでは、故障を引き起こしかねない事を強要し、しかもムダが多い。間違った打撃理論を押し付け、それさえ日によって言う事が変わる。打撃練習では、自分が試合に出る訳でもないのに、選手よりも圧倒的に多くの数を打ち、しかも手本にもなっていない。その結果、時間がなくなり、選手達一人一人が打てる球数は片手で足りるくらいである。守備練習はほとんど行わず、ノックもあまりせず、実戦練習は試合前でも一切やらない。キャッチボールでも、投げ方や取り方の悪い選手を放置したままにしている。気に入らない選手には言葉の暴力を浴びせ、練習から排除する。故障者は、自分の責任問題になるのを恐れてか、できるメニューすらさせず、さらには立ちっぱなしで見学させる。自分は直接指導をほとんどせず、椅子に座り、遠くから眺め、監視に終始する。その時、雨が降り出すと、故障者に傘をささせて平然と腕組みしている。差別と侮蔑を繰り返し、選手達の心まで汚そうとしている。 

これで、選手達には市大会優勝のみならず、全国制覇を目標に掲げさせている。 

実は、この野球部には、もうひとり顧問がいる。前任校では、市大会において上位に進出した実績もあるという。この先生が練習試合を増やし、試合では主審も務めるほど熱心である。しかし、このような惨状を目の当たりにしながら、何故か指導はしていない。先生同士の領分の侵食を避けているのか、他に何らかの理由があるのか…。いかなる理由があるにせよ、選手には全く関係のないものであろう。その先生ならば、もしかすれば、いや、間違いなく現状よりかはマトモな指導ができるであろうに。これを同罪と呼ぶのは穿った見方なのだろうか。 

普段から満足な練習すらやらせてもらえず、フェアな競争も存在しない。野球どころか、スポーツそのものを学ばせてもらっていない。この野球部に絶望し、硬式のクラブチームに移る選手がいる。自分が持つ潜在能力に気づく事さえできず、野球部を去る選手がいる。実力をつけられず、自信を持つ事のないまま、高校でのプレーを諦める選手がいる。
何よりも…。
好きな野球に、ほとばしる情熱をぶつける事ができない…。カラダもココロも鍛えられない…。連帯意識も持てず、真のチームメイトにはなりきれない…。伸び盛りのこの時期に、指導者によって選手達は日々傷ついていく…。
 
どこにでもある話である。
しかし、あってもいい話では、決して…ない。各マスメディアに取り上げられるような優れた指導者ばかりが存在するのではない。すべてではないにしろ、このような自己中心的な指導者 (しかも教育者)が、跳梁跋扈しているのが、中学野球、高校野球の現状なのである。もちろん、少年野球においても同様の光景が見られる事がある。選手達は、対戦相手だけでなく、自分達の監督とも戦わなければならない。そして、足を引っ張られ、成長の芽を摘まれ、言葉の暴力とオーバーワークで心身ともに潰されていく。この問題は、高野連の懸案である『野球留学』よりも、もっと球界にとっては重大ではなかろうか。何しろ、底辺を揺るがしているのだから。
それに、このような指導者が多いからこそ、より良い環境を求めての『野球留学』という選択が生まれるのではなかろうか。『野球留学』の根源は、ここにあるような気がしてならないのは、筆者だけであろうか。
 

全体のレベルが向上する事なくして、球界の発展は有り得ない。そのためにも底辺の拡大と充実は不可欠であると考える。誰もが、硬式のクラブチームに行ける訳ではない。
誰もが、優れた指導者のいる学校に行ける訳ではない。
誰もが、プロを目指せる訳ではない。
誰もが、甲子園を目指せる訳ではない。

しかし、野球が大好きで、真剣に取り組みたい少年は、いっぱい
いる。

そのためにも…。
選手の健全なる育成のために、まず指導者の育成を考え、実践すべきなのではないだろうか。学校の教師だけではなく、在野の野球経験者(プロ経験者も含む)に、指導に当たってもらう事も必要だと感じる。それは選手に対しての指導のみならず、指導者に対しての指導こそ最重要であるように思う。ライセンス制度を導入し、不勉強な指導者は不適格と見なしてもらいたいという思いすら、正直、ある。
 

また、『いくら優れた指導者であっても、チーム全員を一流にできるのは不可能である』という事も追記しておきたい。指導者が卓越した理論の持ち主であっても、選手それぞれには個性があり、合う、合わない事も存在するからである。選択肢を増やしてあげる事が、指導の究極であり、また限界でもある、と筆者は考えている。色んな人の意見を聞く(目に触れる)機会を設け、選手は試行錯誤を繰り返しながら、自分にあったモノを見つけていく…。つまりは選手の自主性と複数の人間による指導の融合が望ましい。ひとりの指導者の、独自の理論の押し付けは愚の骨頂と言える。理想論ではあるが、それでも、こうであってもらいたいと願っている。 

指導者が、己の過ちに対し、本当の意味で責任を取る手段は、辞める事でも、謝る事でもない。タイムマシンで過去に遡り、もう一度やり直しをさせてあげる以外…ない。つまり、責任など取る事は…できない。 

筆者は、野球を通じて人の輪を広げる事ができ、日々の生活に彩りを添える事ができた。微力ながらではあるが、外部の人間として選手達と関わらせてもらっているのも、その一環である。少しでも野球を知り、上達しようとする彼らの真剣な眼差しを愛おしくも思う。しかしながら、こちらの能力の乏しさもあり、彼らに満足な伝授は行えていない。もしかしたらガス抜きとモチベーションの維持くらいしかできていないのかもしれない。指導者に対し、真っ向からモノ申せないジレンマも感じている。やはり、所詮は外部…。情けない話ではあるが、限界が…ある。毎日接する各チームの指導者が相応の能力をつけ、選手に対し責任と愛情を感じながらの指導をしてもらえたら、選手達にとっては、たとえその時期、活躍する事が叶わなかったとしても、幸せな野球部活動、学生生活となるのではないか。そして、その先も野球を続ける希望を持たせる事で、大成への道が開けるのではないか。野球のみならず、他の世界でも立派に通用していく事にも繋がるのではないだろうか。大人になって、青春時代を振り返った時、部活動で虐げられた事しか思い浮かばなければ…。それは淋しい事でありはしないか…。 

指導者…。
「指導する」という時点で、もうすでに一段上に立ってモノを見ている…。すでに心の中に傲慢さが宿っている…。だからこそ、謙虚な気持ちを持たなければならない。自分の知り得るものが、この世のすべてだと思ってはならない。生殺与奪の権限を持った者は、自分自身を律する精神を持たなければならない。主役は選手であり、自分は脇役である事を忘れてはならない。決して、『全知全能の神』では…ない。
 

「学校の先生が、ウソ教えて、ええんかい!?」

本当は…教員採用試験の見直しまで叫びたい気分である。